切なさが、痛い。
2004年2月8日なんか、「砂の器」って、真っ暗な画面が出て、「優しいキスをして」が流れ出すとびっくりするよね^^;。
「え?ここで終わんのかい?」って・・・。そんだけ息詰めて
集中してるから、なんか終わるとびっくりします。
第四話なんて、和賀があさみの手を握ってすこし持ち上げて、
で、和賀さんの切なげな横顔になって、「この後、どうなるのー
ーーーー?」ってドキドキしてたら、真っ暗になって、終わったので、びっくらしました。
やっぱね、淡々と進んだけど、よくよく考えると、やっぱ
凄いドラマでない?。私はそう思います。
今回は和賀の内面とかはあまり描いてない回でしたね。
今までは、中居さんの顔のアップとかで魅せて、視聴者を
ドラマの世界に引き入れててたけど、今回は和賀さんは
人との会話とかを沢山してて、表面上の和賀の性格を
けっこう表現してたみたいに思いました。
其の反面、今回は他のキャラクター達の切ない内面が
クローズアップされてて、見応えありました。
あさみの、未来が見えない切なさ。愛なのか恋なんなのか
わかんないけど、手の届かない世界の、一見とっつき悪そうな
男にしかすがることができない切なさ。
あさみにキツイ言葉しか投げることのできない麻生の切なさ。
やはりね、この厳しい世界に、本当のことを言ってあげるのも
一種の愛かな?。と思うのですよ。
善良であるにもかかわらず惨殺されてしまつた三木のやるせ
なさ。それを身をもって感じ、憤ってる吉村刑事。
そして、気にするそぶりを見せないで生きてきたはず
なのに、痴呆になった時、初めて息子に対する申し訳なさ(自分のせいで誘拐された)に一生を捧げていたことを吐露できた
今西の父親。(私、ヘルパーで、痴呆の人のお世話もしてるの
ですが、やはり昔、一番印象に残ったことをずっと繰り返して
おられます)、もうね、台詞の一つ一つが泣かせます。
龍居女史、やっと乗ってきたかな?(すみません
偉そうで^^;)
いつも、傷ついた野生の動物を見るような目で見守るしか
できないのに、自信ありげに振舞うお嬢様の綾香。
関川と付き合いつつも、和賀への愛を棄てきれず、
そして、残酷に、和賀に棄てられた事実と、和賀の恐ろしい
真実に辛吟し、セーターの処理を神の審判に託すように
電車の窓から棄てる玲子。ああー、せつな過ぎます。
和賀の下を訪れ、受け容れられそうなあさみと、
和賀に受け容れられず、和賀の下から去り、旅立った玲子。
あー、切ない(;;)。演出、最高。
そして、やはり和賀も切ないですね。
あの、運命の夜の「チャイコフスキー」を自宅で奏で、
あの日の前に戻ると自分に言い聞かせる和賀。
人を傷つけた言葉にさえ自分も傷つくくらいに本当は優しいのに、人を殺してしまった和賀。
和賀の手は、きっと、「人」というものの存在の尊さと
恐ろしさの全ての象徴なのかもしれません。
美しい音楽(芸術)を生み出す手(芸術は人間にだけ当たれられたものです)人を暖める手、人を救う手、人に救いを求める
手、そして、人を殺めることの出来る手。
ここまでね、凄いドラマはやはり観たことないですよ。
公式BBSが沢山書き込めたら、めっちゃくちゃ深くて
長い感想を書き込みたい。
あんなに凄いドラマを作った人たちにせめてのお礼が、
自分の感想だと思うから。ちゃんと、わかるから。
ちゃんと伝わってるから・・・・・って。
今西たちがたどる、日本の地方の美しさと貧しさ。
和賀のいる一見華やかで豊かな都会。
その二つの対比も切ないですね。
このドラマは、人の心の内面にも切り込んでくるけど、
今の、日本の姿も雄弁に語ってくれて、私達に、
亡くしてしまった何かを突きつけてくるような気がします。
もしかしたら、自分を棄てて、生まれ変わって、偽りの
人生を歩んできたのは、和賀だけではないのかもしれません。
あの、8月15日。戦争に負けて、アメリカの占領を受け容れた。
そして、歴史を捨て去るように生きてきた私達
日本人全てが、「砂の器」の上に立ってるのかもしれません。
ちょうど、高度経済成長期の幕開けの時代に書かれた小説が、
その、高度経済成長の終焉を迎えようとしている今の時代に
再ドラマ化されたというのは、神が私達に何か、「再考せよ」と
言ってるかのような、偶然のような必然であると思いました。
・・・・って、なんか、変なこと語っちゃいましたね。
^^;。ま、そんだけ、凄いドラマなのですー「すなうつ」は。
「え?ここで終わんのかい?」って・・・。そんだけ息詰めて
集中してるから、なんか終わるとびっくりします。
第四話なんて、和賀があさみの手を握ってすこし持ち上げて、
で、和賀さんの切なげな横顔になって、「この後、どうなるのー
ーーーー?」ってドキドキしてたら、真っ暗になって、終わったので、びっくらしました。
やっぱね、淡々と進んだけど、よくよく考えると、やっぱ
凄いドラマでない?。私はそう思います。
今回は和賀の内面とかはあまり描いてない回でしたね。
今までは、中居さんの顔のアップとかで魅せて、視聴者を
ドラマの世界に引き入れててたけど、今回は和賀さんは
人との会話とかを沢山してて、表面上の和賀の性格を
けっこう表現してたみたいに思いました。
其の反面、今回は他のキャラクター達の切ない内面が
クローズアップされてて、見応えありました。
あさみの、未来が見えない切なさ。愛なのか恋なんなのか
わかんないけど、手の届かない世界の、一見とっつき悪そうな
男にしかすがることができない切なさ。
あさみにキツイ言葉しか投げることのできない麻生の切なさ。
やはりね、この厳しい世界に、本当のことを言ってあげるのも
一種の愛かな?。と思うのですよ。
善良であるにもかかわらず惨殺されてしまつた三木のやるせ
なさ。それを身をもって感じ、憤ってる吉村刑事。
そして、気にするそぶりを見せないで生きてきたはず
なのに、痴呆になった時、初めて息子に対する申し訳なさ(自分のせいで誘拐された)に一生を捧げていたことを吐露できた
今西の父親。(私、ヘルパーで、痴呆の人のお世話もしてるの
ですが、やはり昔、一番印象に残ったことをずっと繰り返して
おられます)、もうね、台詞の一つ一つが泣かせます。
龍居女史、やっと乗ってきたかな?(すみません
偉そうで^^;)
いつも、傷ついた野生の動物を見るような目で見守るしか
できないのに、自信ありげに振舞うお嬢様の綾香。
関川と付き合いつつも、和賀への愛を棄てきれず、
そして、残酷に、和賀に棄てられた事実と、和賀の恐ろしい
真実に辛吟し、セーターの処理を神の審判に託すように
電車の窓から棄てる玲子。ああー、せつな過ぎます。
和賀の下を訪れ、受け容れられそうなあさみと、
和賀に受け容れられず、和賀の下から去り、旅立った玲子。
あー、切ない(;;)。演出、最高。
そして、やはり和賀も切ないですね。
あの、運命の夜の「チャイコフスキー」を自宅で奏で、
あの日の前に戻ると自分に言い聞かせる和賀。
人を傷つけた言葉にさえ自分も傷つくくらいに本当は優しいのに、人を殺してしまった和賀。
和賀の手は、きっと、「人」というものの存在の尊さと
恐ろしさの全ての象徴なのかもしれません。
美しい音楽(芸術)を生み出す手(芸術は人間にだけ当たれられたものです)人を暖める手、人を救う手、人に救いを求める
手、そして、人を殺めることの出来る手。
ここまでね、凄いドラマはやはり観たことないですよ。
公式BBSが沢山書き込めたら、めっちゃくちゃ深くて
長い感想を書き込みたい。
あんなに凄いドラマを作った人たちにせめてのお礼が、
自分の感想だと思うから。ちゃんと、わかるから。
ちゃんと伝わってるから・・・・・って。
今西たちがたどる、日本の地方の美しさと貧しさ。
和賀のいる一見華やかで豊かな都会。
その二つの対比も切ないですね。
このドラマは、人の心の内面にも切り込んでくるけど、
今の、日本の姿も雄弁に語ってくれて、私達に、
亡くしてしまった何かを突きつけてくるような気がします。
もしかしたら、自分を棄てて、生まれ変わって、偽りの
人生を歩んできたのは、和賀だけではないのかもしれません。
あの、8月15日。戦争に負けて、アメリカの占領を受け容れた。
そして、歴史を捨て去るように生きてきた私達
日本人全てが、「砂の器」の上に立ってるのかもしれません。
ちょうど、高度経済成長期の幕開けの時代に書かれた小説が、
その、高度経済成長の終焉を迎えようとしている今の時代に
再ドラマ化されたというのは、神が私達に何か、「再考せよ」と
言ってるかのような、偶然のような必然であると思いました。
・・・・って、なんか、変なこと語っちゃいましたね。
^^;。ま、そんだけ、凄いドラマなのですー「すなうつ」は。
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