最初にお断りしておかないと
いけないのですが、私は、キリスト教のお勉強を
したこともありませんし、教会に通ったことも
ありません。なので、これから繰り広げる
私の考察は、あくまでも、私が生きてきた中で
見聞きしたキリストというものの概念を
元にしています。なので、大本の概念が
あやふやであるから、考察も、極めて
あいまいなものだと思います。でも、
自分がそう、感じたことなので、少し
ご披露したいナーと思いまして、
書きます。よろしくお願いします。

まず、私がなんでこんなことを書こうかなと
思ったかなのですが、よく、色んな「影」ファンの
掲示板で、倫子がストーカーっぽい。倫子うざい。
との書き込みを読みました。確かに、彼女は
わりと、直江の生活に、強引に入ってくる
ところがありました。黙って部屋に入って
きちゃうとか(第四話)。黙ってクローゼットの
中を見ちゃうとか^^;。
なんで、彼女には壁がないのかなー?
なんで、彼女は色んな壁をスルーして入って
きてしまうのか?と考えました。そして、
自分なりに結論に至りました。
倫子はただの人間の女性ではない。
「天使」なんだと。そういえば、エンディングの
倫子には、白い衣装の後ろに羽がはえていても
おかしくない雰囲気があったと思います。
倫子は、直江の最後の恋人であるまえに、
神様がかわいそうな直江の苦痛をやわらげるために
天から送った救いの天使なのだと思い至りました。
そして、倫子が天使なら、直江は何かな?と
考えました。そしたら、キリスト(救世主)かな?と
思いました。昔、何かの本で、キリストは磔の刑に
処される時、「神様、なぜっ」と叫んだ。というのを
読みました。確かに、色んな力や説法で周りの人を
救い、身を挺してきたはずのキリストが死刑になるのは
あまりにも、むごい神の仕打ちです。
彼の善行が報いられることがないのじゃあまりのも
救いがありません。
磔死というのは、人間の末路としては、最高に
辛い末路ではないでしょうか?
キリストはいわゆる、人生の失敗者です。
でも、全世界で、まだキリスト教は信じられています。
なぜか?といいますと、キリストは、人類の苦悩の
背負った象徴として、私達全人類の代わりに、
死刑になった。というのです。そこが、「原罪」という
ことも関わってくると思うのですが。つまり、
全人類がもともと持っている「原罪」(私の勝手な
解釈では、生老病死のことだと思います。あとは、
罪かな)を身を挺して背負った。っていうことで・・・・。
人生、甲斐のないものだけど、彼が(キリスト)
がそれを肩代わり(象徴)してくれる。だから、
崇められるのだと思います。
キリストの無力は、人類の無力の象徴だと思います。
そして、無力であるからこそ、神の存在が大きいという
そういう教えなのかな?と私は思いました。
人間、自力だけでは生きていけないよ。っていう・・・。
うーん、
もっとちゃんと勉強すればうまい言葉が
見つかると思うんですが・・・。すみません。
で、直江です。彼も病人の為に自分を犠牲にして
がんばってきた。救った人たちも沢山いたでしょう。
でも、死病に取り付かれてしまった。
そして、叫びました「なぜ僕が・・・」と。
そして、苦悩と苦痛と孤独の中にいました。
でも、そこに神様は倫子という天使を遣わして
くれました。直江は倫子の愛を受け容れるかどうか
を第六話で、ボートの上で神に聞くように
太陽を見つめていました。そして、倫子を受け容れました。
私は、確かにあのシーンで、神の存在を感じました。
そして、最後は絶対的な愛に包まれながら
自分の意思を守り安らかに神の世界に
旅立ちました。
そして、なぜか、直江はキリストの復活のように
ビデオレターという形で死後、私達の前に現れ、
そしてとうとう、我々(ファンの)熱い思いで、
28歳の時の若い直江にまで(SP放送)会えちゃった。
というわけです。
天使倫子は直江と出会い、直江の子供を宿しました。
倫子は天使から聖母マリアになったのです。
直江の病状を考えると、赤ちゃんが出来るというのも
処女懐妊という奇跡ととらえることもできると思います。
と、いうことで少しこじつけですが、
私はこんな風に感じている。ということで、
ご披露しました。
そして、今、直江は和賀英良という男として、
負のキリストとして、また人類の原罪である
「罪」を背負って、この世に降り立ちました。
人が人を殺してしまう。という最大の罪。
誰も其の罪を犯さないということは保証されていませんし、
心の中で誰かを殺してしまったことは
誰でも一度はあるのではないでしょうか?
キリストは心の中で犯しただけでも、それは罪だと
言っています。
和賀が罪を背負い、これからどう生きていくのか?
罪を背負っていても、でも、人は誰でも神の子で、
神に愛される存在だとしたら、死を背負った直江に
倫子が使わされたのと同じように、和賀いは
あさみが遣わされたのだと思います。
そして、天使は、傷ついた人間の側に、
いつでもいるのだと、闇夜をさまようように
孤独に生きている現代人の私達に、ドラマを
通して、龍居さんは教えてくれてるのではない
でしょうか?和賀の背負った罪が
彼だけのものでない。だれにでもあるものだ。という
気持ちでドラマを観たら、また違ったものが
見えるかもしれないと思います。
しかし、このようにキリスト的役柄を
アイドル中居正広がどうして演じ続けなければ
ならないのか?と考えますと、
いわゆるアイドルというのは、現代のキリスト的な
ものなのかなーと思えてきます。不思議ですね。
長い文章を最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

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