「あの時の君と同じだ」・・・・。
2004年2月18日すっかり「すなうつ」中心の生活になってしまって
おります。三月いっぱいのことだから、大丈夫だと
思うけど、はー、大変^^;。
今更ですが、なんで、「すなうつ」って略すのか、
書いちゃいますね。本当はちゃんと「砂の器」って書くのが
ベストだと思うんですよ。でも、めんどくさがりなので、
略したい。じゃあ「砂」とか「器」でいいじゃん。
なんだけど、「砂」って、つまり砂を意識しちゃうん
です。で、「器」も、なにかの器を思い出しちゃう。
でも、ドラマ「砂の器」は、やはり特別な存在。
この世にある固有名詞に置き換えるにはあまりにも
私の中で特別なのです。なので、「すなうつ」って
書いちゃうのです。御了承くださいませ。
日記タイトルの「あの時の君と同じだ」。
第五話での、あさみがバイトしてるバーにやってきた
和賀の言葉です。
私、初見では、気持ちを置いてかれてたので、(この
台詞の意味と和賀があさみのと所に来た意味が
把握しきれなかったんです^^;)何度も
リピートして、考えました。
「あの時」っていつかな?って。
あのあと、あさみが自殺をようとしたシーンが流れた
ので、その時かな?と思ったんだけど、
色々掲示板とか見てみて思ったのは、
つまり夜に「ただ会いたかった」といってあさみが
たずねて来た時のことかな?と思いました。
「ただ会いたくてきたんだよ」って・・・・。
やっぱり、人に弱みとか本心を見せないように努力して
生きてきた和賀さんには、「君に会いたくて」とかは
言えないんでしょうね。あの言い方が最大限、素直な
表現なのでしょう。じゃあ、あのあさみの回想シーンは?
となるんですが、あれは、つまり、自分勝手な
和賀に最初は怒ってたあさみだけど、そういえば、私は
この人に命を助けられたんだわ。と思いなおして、
なんか、凄く落ち込んでるみたいな和賀を見たら、
やはり無碍に追い返せなくなった。ということを表現
してるのかな?と思いました。
はー、本当に奥が深いというか難しいドラマですね。
おかげで、格闘しがいはあるけど^^;。
でも、他の意見で、やはりあさみが自殺しようとした時
と自分が同じってことなのかなー。本当に難しいね。
そうだとするとなんで和賀はそうなってしまったのでしょう?
人を殺めてまで生きる価値が自分にあったのか?とか
思ったら空疎であまりにも自分の存在とかが疎ましく
なったのかな?
とにかく、人間って、凄くわかんない生き物だし、
自分でさえ、ちゃんと自分を把握しきれないんだから、
人なんて、ましてや、わかんないよね。
だから、物語として面白いし、さぐり甲斐もあるのかも。
このわかりづらさを、めんどくさいと思う視聴者は
「よくない」とか「わかんない」で片付けちゃうのかも
しれないですね。でも、そういうところが、面白いのにね。
やはり、今はハウツー物とか、あらすじ物とかが
流行ってるから、人間が短絡的になってる証拠かもね。
てっとりばやく、感動させられたがってる。
少し、悲しい現実・・・。
「僕かの」
・・・・・・・・。
一人の男の「命」が、11話全部を重たく支配し、
人々を苦しめる「砂の器」。
一人の男の「命」が、感動の喚起のために容赦なく
殺されてしまった「僕かの」
・・・・・。
尊く、重いのも、人の命。
はかなく、軽いのも人の命。
どっちも、真実・・・・・。
不思議だね。
せっかく命を取り留めた井上部長。死なせる必要
あったのかな?
ぶきみな、回だったな・・・・^^;。
キライニナリソウ・・・・・。
サンケイ新聞の視聴率欄に、
妙なコメントあり。
ドラマの成否はやはり視聴率で決まると・・・。
ふーん、そうなのですか。なんか、いつも奇麗事で
「視聴率至上主義の弊害」とか書いてる新聞が、
自分のところのドラマが調子いいと、視聴率で
成否が決まるとか、書いちゃうのね^^;。
契約、うちきったろうかいな(笑)。
おります。三月いっぱいのことだから、大丈夫だと
思うけど、はー、大変^^;。
今更ですが、なんで、「すなうつ」って略すのか、
書いちゃいますね。本当はちゃんと「砂の器」って書くのが
ベストだと思うんですよ。でも、めんどくさがりなので、
略したい。じゃあ「砂」とか「器」でいいじゃん。
なんだけど、「砂」って、つまり砂を意識しちゃうん
です。で、「器」も、なにかの器を思い出しちゃう。
でも、ドラマ「砂の器」は、やはり特別な存在。
この世にある固有名詞に置き換えるにはあまりにも
私の中で特別なのです。なので、「すなうつ」って
書いちゃうのです。御了承くださいませ。
日記タイトルの「あの時の君と同じだ」。
第五話での、あさみがバイトしてるバーにやってきた
和賀の言葉です。
私、初見では、気持ちを置いてかれてたので、(この
台詞の意味と和賀があさみのと所に来た意味が
把握しきれなかったんです^^;)何度も
リピートして、考えました。
「あの時」っていつかな?って。
あのあと、あさみが自殺をようとしたシーンが流れた
ので、その時かな?と思ったんだけど、
色々掲示板とか見てみて思ったのは、
つまり夜に「ただ会いたかった」といってあさみが
たずねて来た時のことかな?と思いました。
「ただ会いたくてきたんだよ」って・・・・。
やっぱり、人に弱みとか本心を見せないように努力して
生きてきた和賀さんには、「君に会いたくて」とかは
言えないんでしょうね。あの言い方が最大限、素直な
表現なのでしょう。じゃあ、あのあさみの回想シーンは?
となるんですが、あれは、つまり、自分勝手な
和賀に最初は怒ってたあさみだけど、そういえば、私は
この人に命を助けられたんだわ。と思いなおして、
なんか、凄く落ち込んでるみたいな和賀を見たら、
やはり無碍に追い返せなくなった。ということを表現
してるのかな?と思いました。
はー、本当に奥が深いというか難しいドラマですね。
おかげで、格闘しがいはあるけど^^;。
でも、他の意見で、やはりあさみが自殺しようとした時
と自分が同じってことなのかなー。本当に難しいね。
そうだとするとなんで和賀はそうなってしまったのでしょう?
人を殺めてまで生きる価値が自分にあったのか?とか
思ったら空疎であまりにも自分の存在とかが疎ましく
なったのかな?
とにかく、人間って、凄くわかんない生き物だし、
自分でさえ、ちゃんと自分を把握しきれないんだから、
人なんて、ましてや、わかんないよね。
だから、物語として面白いし、さぐり甲斐もあるのかも。
このわかりづらさを、めんどくさいと思う視聴者は
「よくない」とか「わかんない」で片付けちゃうのかも
しれないですね。でも、そういうところが、面白いのにね。
やはり、今はハウツー物とか、あらすじ物とかが
流行ってるから、人間が短絡的になってる証拠かもね。
てっとりばやく、感動させられたがってる。
少し、悲しい現実・・・。
「僕かの」
・・・・・・・・。
一人の男の「命」が、11話全部を重たく支配し、
人々を苦しめる「砂の器」。
一人の男の「命」が、感動の喚起のために容赦なく
殺されてしまった「僕かの」
・・・・・。
尊く、重いのも、人の命。
はかなく、軽いのも人の命。
どっちも、真実・・・・・。
不思議だね。
せっかく命を取り留めた井上部長。死なせる必要
あったのかな?
ぶきみな、回だったな・・・・^^;。
キライニナリソウ・・・・・。
サンケイ新聞の視聴率欄に、
妙なコメントあり。
ドラマの成否はやはり視聴率で決まると・・・。
ふーん、そうなのですか。なんか、いつも奇麗事で
「視聴率至上主義の弊害」とか書いてる新聞が、
自分のところのドラマが調子いいと、視聴率で
成否が決まるとか、書いちゃうのね^^;。
契約、うちきったろうかいな(笑)。
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