タイトル・・・、凄いタイトルだけど、
「すなうつ」への苦情じゃないです^^;。
今日の朝もね、少年が少女を殺してしまったと、
ニュースありました。
めっちゃ頭きました。
昨日の夜、あんなに私は和賀さんの・・・じゃなくて、
秀夫の罪を一緒に背負った気持ちで、悲しく、
辛く、やるせなく、取り返しのつかない行いに、
一緒に、悔い、悲しみ、しんどい思いをして、
眠れぬ夜をすごしたというのに、現実の世界で、
こんなにいともあっさりと、人が人を殺しています。
なんで、そんなことするんでしょう。
人を殺して得る利益なんて、人を殺してしいまったあとの
後悔や自分の人生の損失や家族の悲しみや辛さ、悲劇に
比べたら、全然ないというのに。
昔、小さい頃、35年くらい前は、
TVニュースで、「人殺し」の事件などを見たりしたら、
「なんて、恐ろしいこと」と、我が家では
本当に大ニュースで、母親とかと一緒に、
震えるような気持ちで見ていたのに、
このごろでは、よっぽどの事件でないと、
心に響かなくなってきてしまっていたことに
気づきました。
そういうことに、「すなうつ」を観て、
情けないけど、改めて気が付きました。
「すなうつ」始まる前に、伊佐野Pが、
「人間がいびつになってる。だから、それを
訴えたい。簡単に人を殺しすぎる」みたいな
ことを言っていたのをスポーツ紙かなにかで
読んだことがあります。
まさに、そういうことを感じています。
訴えたいことを映像作品で世間に問える。
すばらしいことだと思います。

さて、「すなうつ」第9話ですが、
松雪さんのマネージャーさんの「脚本で号泣」という
情報により、あまりにも、「泣こう」「泣ける」という
期待を胸に観たので、凄く静かで、登場人物だけが
物凄く物語りの中で泣いてる(皆、泣いてたね。本当の
涙を流した人もいれば、心の中で泣いてた人もいたね)
状況に、「私は、まだ何も知らないから泣けないよー、
自分たちだけ知ってて、ずるいよー」ってな
感じで、もどかしくて、もどかしくてしかたありま
せんでした。
きっと松雪さんがあれほど泣けるのだから、
秀夫の背負った宿命はとてつもなく、悲しい
宿命だったのだと思います。でも、感受性の強い
人だったら、秀夫が和賀君の名前を騙って、一人で
生きてきたということだけでも、あれぐらい
泣けるとは思いますが・・・。
もうね、あさみさんがうらやましくて、うらやましくて。
私も早く私もあさみさんみたいに、泣きたいです。
泣ければ、楽になったかも。
泣けることは楽かも・・・。涙を流して泣けない
秀夫は、かなり辛いかも・・・。
演技で泣けない中居さんは本当に辛いかも・・・。
次回、本当の中居さんの涙をみることはできる
んでしょうか?
龍居さんは、凄く人間に対して、愛情のある人
なんですね。「しろかげ」も、最後は登場人物
それぞれが凄く透明になっていってたように
思うのですが、「すなうつ」もキャラたちが
どんどん透明になっていって、いい人になって
きてますね。関川は、玲子の死と子供の死を背負って、
栄光の座を失った世界で前向きに生きていこうと
してるみたいだし(私の、予想、おおはずれでした^^;)。
麻生は、ただ、本当に芸術家として、己の道を
極めたいだけのピュアな人で、傲慢に見えるのは、
そういう道を究めたいという純化した態度が
人にはそう見えるのであって・・・。(和賀も、
そうですね)
このドラマのキーポイントの一つに「芸術」とか
「芸術家」というのも入れていいかもしれないと
思いました。
「芸術」の道は厳しいのだな・・・って。
「芸術」は、人間にしか生み出せないもので、
人間しか楽しめないものだから、
「ざ・人間ドラマ」である「すなうつ」で、
「芸術」」が大きなキーポイントであることも、
うなずけるかもしれません。
とにかく、第9話は、シンフォニーで、
最後の大音響クライマックスが来るまえの、
コントラバスとかの低音の静かな静かな
抑えた旋律のところ・・・って感じでしょうか。
静かな第9話だったのですが、でも、不思議なことに
時間はあっという間に過ぎたように感じました。
和賀さんが車で逃走して、運転する横顔の
アップが写ったシーンで、「ええ?まさか、ここで
終わるん?もう一時間たった?」と思いましたから。
で、「やさしいキスをして〜」ってきて、
「うそーん」て、叫びました^^;。

掲示板にも書きましたが、
このドラマは「罪と罰」のドラマになると
思っていた私の予想を超えて、「命」の
ドラマなのかも・・・と思えた第9話でした。
「罪と罰」は、「命」の後にくる人間界の事象です。
でも、「命」はすべての物語、すべての事象の根源です。
龍居さんは、ダイレクトにそこまで切り込んで
描こうとしてるのかもしれません。
この世に生み出された「命」は、無条件で愛し、
愛されないといけない。と、龍居さんは訴えたいのかも
しえません。その無条件の愛がないところに、
すべての悲劇が始まるのだと。
「罪と罰」では、何も解決しない。誰も救われない。
水掛け論で終わってしまうことは、この数ヶ月の
私のつたない考察でも、明らかになりました。
だから、龍居さんも本当に色々考えたのだと
思います。そして、やはり「命」に対する
「愛」の足りなさが、すべての始まりなんじゃないか?と
思われたのでしょう。だから、あさみの自殺未遂と
あさみを助ける和賀という、あの一見、「砂の器」とは
かけはなれたオリジナルの場面を入れたのでしょう。
あの京都の(ロケは青森らしいけど^^;)海の
崖の上で、命を生み出された女と、命を生み出した
男が運命の恋に陥ることは、「無条件での命への
愛」を表現しているのだと思います。
和賀はあさみの親で、あさみは、和賀の子供なんだと
思います。親子が無条件で愛しあうのは
普通のことでして・・・・。この場合、たまたま
他人の男女だった
ので、男女の仲になってしまったわけでして。
(物語上、恋愛のシーンも要素として、大事ですし)
この世で、一番基本的な「愛」は親子の愛だと
思うから、本当に、このドラマはそういうところを
わかりやすい言葉でなく、ちゃんと、芸術に
昇華させて、私たちに訴えてくれてるんだなーと
感じました。
昨日の夜は、ドラマに感動というよりも、
色々魂が痛くて、泣けて、二時半くらいまで
お布団の中で泣いていました。
そして、感謝しながらやっと眠りにつくことができました。
体調が、悪いんですよ^^;。色々満身創痍です。
でも、自分が死んでしまう病気とかでも、
(ただ、単にちょっと調子悪いだけなので、
心配しないでね。例えばという話しです)
もしかしたら自分が「罪」にまみれていないことは
とても幸せなことなのかな?と思いました。
人は誰でも、病気で死にます。だから、受け入れるしか
ない部分があります。でも、「罪」を背負うことは
絶対に嫌です。背負わなくていい人が大半で、
それだけでも幸せに生きてる人がいるのに、
自分だけ背負うのは嫌です。
こう思わせてくれただけでも、「すなうつ」は
凄いし、中居さんの演技は凄かった。と思います。
秀夫君に会えてよかった。秀夫君の苦しみを感じることが
できて、良かった・・・・。

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