色々・・・・
2004年3月24日はー(ため息)「すなうつ」で感じた感動に忠実に
生きようと思うと、人とかに強いこととか言えない感じ。
色んな作品とかにも無碍に断定的な感想も言えない感じ。
やさしくて、思いやりのある人にならなきゃ、あの
ドラマを観て感動した自分の気持ちを裏切って
しまうという感じになっちゃう。本当に不思議なドラマ
です。
もしかしたら、「すなうつ」は、あの、2003年
大晦日のNHK「紅白歌合戦」で、スマップが歌うまえに
皆に語りだした、「一人ひとりが思いやりの心を
持てば」のあの言葉から始まっていたのかも。
中居さんは、もうあの時撮影に入ってたわけで。
「すなうつ」も、あの悲惨な大畑事件。千代吉の
30人殺し、そして、その後のさまざまな悲劇も、
誰かの、小さな思いやりだけで、本当は
防げたことなのに。誰かの我慢で防げたことなのに。
今西が言った「間違えた」。そう、本当に、誰もが
少しずつ間違えたんだよ。大畑村の村医が、千代吉の
奥さんが、助からないまでも、村八のおきてを破って、
駆けつけてくれたら、もしかしたら、千代吉は
あんな犯行に及ばなかったかもしれない。千代吉も、
奥さんの死を堪忍したら、一人泣き寝入りになったかも
しれないけど、その後の不幸は防げたかもしれない。
そして、そして、その後の不幸も、ありとあらゆる
誤解とか偏見とか間違いとか思いやり不足の
雪だるまであそこまでいっちゃうわけで。
これだけでも、私は十分に悲劇的で納得のいく
これまでの流れだと思います。人を殺すに十分な
理由とか不十分な理由なんて、ないと思います。
ただ本当にどんな殺人でも、「間違え」であることは
確かなんだと思うから。そして、人間がいかに危うくて
間違えやすい生き物なのか?っていうのがこのドラマの
描きたかったことで。そして、少しの思いやりで
防げるんじゃないの?というのも、このドラマの
描きたかったことだと思います。これを素直に
受け取れば、いいとは思うんだけど・・・。
他に何か何をもっと説明されれば気が済むのかなー?
って^^;。人には語るべき過去と、語ってはいけない
過去があるように、社会にも、語っていい暗部と
語ってはいけない暗部があると思います。
私は、このドラマで、傷つく人々がでるのがいやです。
だから、あいまいな部分はあいまいでいいと思うし、
大畑事件は、特異の事件としてではなく、思いやり不足、
人間のおろかさの象徴として、受け取るべきであり、
本浦家の過去の差別を描いてないから説明不足とか
そういうのではないと思うのです。ただ、千代吉はやりすぎた
というか、あんなに酷い扱いを受けても、人間
堪忍しないといけない一線があるっていうことなんだと
思います。本当に、このドラマは色んなことを
投げかけています。だから、「わかんない」とか
「つたわらない」じゃなく、やっぱり、考えなきゃ
いけないし、受けろとうとして欲しいなーって
思います。
「思いやりが必要」。そうだと思います。
千代吉がリヤカーで奥さんを運んでるんだって、
私も、「救急車呼べばいいのに」ってすぐ思ったけど、
でも、もしかして、電話してて、でも、隣町から
来るから(なんせ、この村では村八分^^;)リヤカーで
救急車が来るところまで運んであげようという
千代吉のあせった気持ちと奥さんへの愛かもしれない
じゃない?そう考えると感動できる場面なのに、
人は思いやりがないと「救急車」って思う。
つまり、そういうことかな?と・・・。
「ぼくかの」だって、七年も育児日記つけてるような
母親が、娘をあんな冷たい旦那のもとに置いて、
出て行くわけがない。(実家もあるのに)と
思うけど、思いやりがあれば、きっと七年間の
育児日記は、旦那へ通じない愛の自分の気持ちの
はけ口であり、娘への本当の愛じゃなかった。
きっと長年の鬱屈の気持ちがそのときに爆発したんだ。って
思いやれば、なんとか納得できるわけで。
「プライド」だって、ハルは、愛する親に捨てられた
んだから、本当はヒデちゃよりかわいそうな子なんだ。
なのに、おちゃらけ男になったけど、けなげにまっすぐ
生きてきたのねーって、思いやれることもできます。
たしかに、プロのやることなんだから、ある程度
視聴者を満足させなきゃいけないし、ある程度の
クオリティを満たしてないといけないけど、
私はけっこう、今回の「すなうつ」は、自分たちの
自己満足の部分と、視聴者を楽しませるという
エンターテイメント性のぎりぎりのバランスの頂点を
極めた、珍しい成功作だと思ったりしています。
この作品は作品そのものもそうだけど、創り手の
情念と情熱を味わうってのも醍醐味の一つに思います。
よくねー、「少年ジャンプ」とかで、毎週読者アンケートを
やってて、それによって、連載漫画の扱いが変わって
くるんです。でも、私としては思うんです。
漫画家さんの描きたい、訴えたいというものを
まず、読んでみたいって。それが、たまたま自分たちの
琴線に触れたとき、その作品は大いなるパワーを
発揮するんだから。そのエクスタシーを味わいたいなって。
で、今回、「すなうつ」は、そのエクスタシーを
非常に感じられたので、凄く私は、疲れたけど、
嬉しかったし、面白かったです。
ただ、いいと感じた人、感じなかった人、
それぞれいていいと思います。
こうあるべきという膠着した気持ちが、すべての
「村八分」を生むわけだし。人の気持ちや
感想は尊重すべきだと思います。でも、自分の
気持ちを否定したり、卑下することもないわけで。
お互いが別の人格の持ち主で、相手の人権を
犯しもしないけど、犯されもしないっていう気概が
平和で誇り高い世界を築くんだと思います。
なんか、理想主義っぽすぎるけど。
他人の存在や考えを冷静に受け止め斟酌しようという
気持ちを持てることが、大人になるってことだと
思います。それが国家レベルにまで達することが
できれば、世界も平和になると思うんだけど、
なんか、世界はまだまだ未成熟ですねー
私としては沈みそうなタイタニックで、いい場所探ししてる
愚かな人間っていう風に思えちゃうんだけど。
そういう場合じゃないでしょう。ってね^^;。
「光と影」
色んな日記サイトで色んな人の感想を
読みました
皆さんそれぞれに、深く解釈されてて、自分の浅さと、
中居さんの深さを感じ、またまた涙しました。
そこに、物が存在すれば、かならず光の部分と
影の部分ができるわけで、中居さんは存在するすべての
ものを象徴されたのだ。っていう物凄い解釈とか、
誠実に生きることは心が痛いけど・・・っていう
ところでは、中居さんの痛いまでの取り繕わない
生き方っとかね。「いいひと」でいることをやめてしまった
感じを、武田さんはああいうふうに表現んしたのかな?って
思ったら、色々泣けました。
やっぱね、自分は浅くて、世界は深いんだな。
こういう気持ちで誰もが生きていけば、もう少し
軋轢とか、なくなると思うんだけど・・・って、
ネットしながら、色々勉強しています。
中居さん、ありがとう。
生きようと思うと、人とかに強いこととか言えない感じ。
色んな作品とかにも無碍に断定的な感想も言えない感じ。
やさしくて、思いやりのある人にならなきゃ、あの
ドラマを観て感動した自分の気持ちを裏切って
しまうという感じになっちゃう。本当に不思議なドラマ
です。
もしかしたら、「すなうつ」は、あの、2003年
大晦日のNHK「紅白歌合戦」で、スマップが歌うまえに
皆に語りだした、「一人ひとりが思いやりの心を
持てば」のあの言葉から始まっていたのかも。
中居さんは、もうあの時撮影に入ってたわけで。
「すなうつ」も、あの悲惨な大畑事件。千代吉の
30人殺し、そして、その後のさまざまな悲劇も、
誰かの、小さな思いやりだけで、本当は
防げたことなのに。誰かの我慢で防げたことなのに。
今西が言った「間違えた」。そう、本当に、誰もが
少しずつ間違えたんだよ。大畑村の村医が、千代吉の
奥さんが、助からないまでも、村八のおきてを破って、
駆けつけてくれたら、もしかしたら、千代吉は
あんな犯行に及ばなかったかもしれない。千代吉も、
奥さんの死を堪忍したら、一人泣き寝入りになったかも
しれないけど、その後の不幸は防げたかもしれない。
そして、そして、その後の不幸も、ありとあらゆる
誤解とか偏見とか間違いとか思いやり不足の
雪だるまであそこまでいっちゃうわけで。
これだけでも、私は十分に悲劇的で納得のいく
これまでの流れだと思います。人を殺すに十分な
理由とか不十分な理由なんて、ないと思います。
ただ本当にどんな殺人でも、「間違え」であることは
確かなんだと思うから。そして、人間がいかに危うくて
間違えやすい生き物なのか?っていうのがこのドラマの
描きたかったことで。そして、少しの思いやりで
防げるんじゃないの?というのも、このドラマの
描きたかったことだと思います。これを素直に
受け取れば、いいとは思うんだけど・・・。
他に何か何をもっと説明されれば気が済むのかなー?
って^^;。人には語るべき過去と、語ってはいけない
過去があるように、社会にも、語っていい暗部と
語ってはいけない暗部があると思います。
私は、このドラマで、傷つく人々がでるのがいやです。
だから、あいまいな部分はあいまいでいいと思うし、
大畑事件は、特異の事件としてではなく、思いやり不足、
人間のおろかさの象徴として、受け取るべきであり、
本浦家の過去の差別を描いてないから説明不足とか
そういうのではないと思うのです。ただ、千代吉はやりすぎた
というか、あんなに酷い扱いを受けても、人間
堪忍しないといけない一線があるっていうことなんだと
思います。本当に、このドラマは色んなことを
投げかけています。だから、「わかんない」とか
「つたわらない」じゃなく、やっぱり、考えなきゃ
いけないし、受けろとうとして欲しいなーって
思います。
「思いやりが必要」。そうだと思います。
千代吉がリヤカーで奥さんを運んでるんだって、
私も、「救急車呼べばいいのに」ってすぐ思ったけど、
でも、もしかして、電話してて、でも、隣町から
来るから(なんせ、この村では村八分^^;)リヤカーで
救急車が来るところまで運んであげようという
千代吉のあせった気持ちと奥さんへの愛かもしれない
じゃない?そう考えると感動できる場面なのに、
人は思いやりがないと「救急車」って思う。
つまり、そういうことかな?と・・・。
「ぼくかの」だって、七年も育児日記つけてるような
母親が、娘をあんな冷たい旦那のもとに置いて、
出て行くわけがない。(実家もあるのに)と
思うけど、思いやりがあれば、きっと七年間の
育児日記は、旦那へ通じない愛の自分の気持ちの
はけ口であり、娘への本当の愛じゃなかった。
きっと長年の鬱屈の気持ちがそのときに爆発したんだ。って
思いやれば、なんとか納得できるわけで。
「プライド」だって、ハルは、愛する親に捨てられた
んだから、本当はヒデちゃよりかわいそうな子なんだ。
なのに、おちゃらけ男になったけど、けなげにまっすぐ
生きてきたのねーって、思いやれることもできます。
たしかに、プロのやることなんだから、ある程度
視聴者を満足させなきゃいけないし、ある程度の
クオリティを満たしてないといけないけど、
私はけっこう、今回の「すなうつ」は、自分たちの
自己満足の部分と、視聴者を楽しませるという
エンターテイメント性のぎりぎりのバランスの頂点を
極めた、珍しい成功作だと思ったりしています。
この作品は作品そのものもそうだけど、創り手の
情念と情熱を味わうってのも醍醐味の一つに思います。
よくねー、「少年ジャンプ」とかで、毎週読者アンケートを
やってて、それによって、連載漫画の扱いが変わって
くるんです。でも、私としては思うんです。
漫画家さんの描きたい、訴えたいというものを
まず、読んでみたいって。それが、たまたま自分たちの
琴線に触れたとき、その作品は大いなるパワーを
発揮するんだから。そのエクスタシーを味わいたいなって。
で、今回、「すなうつ」は、そのエクスタシーを
非常に感じられたので、凄く私は、疲れたけど、
嬉しかったし、面白かったです。
ただ、いいと感じた人、感じなかった人、
それぞれいていいと思います。
こうあるべきという膠着した気持ちが、すべての
「村八分」を生むわけだし。人の気持ちや
感想は尊重すべきだと思います。でも、自分の
気持ちを否定したり、卑下することもないわけで。
お互いが別の人格の持ち主で、相手の人権を
犯しもしないけど、犯されもしないっていう気概が
平和で誇り高い世界を築くんだと思います。
なんか、理想主義っぽすぎるけど。
他人の存在や考えを冷静に受け止め斟酌しようという
気持ちを持てることが、大人になるってことだと
思います。それが国家レベルにまで達することが
できれば、世界も平和になると思うんだけど、
なんか、世界はまだまだ未成熟ですねー
私としては沈みそうなタイタニックで、いい場所探ししてる
愚かな人間っていう風に思えちゃうんだけど。
そういう場合じゃないでしょう。ってね^^;。
「光と影」
色んな日記サイトで色んな人の感想を
読みました
皆さんそれぞれに、深く解釈されてて、自分の浅さと、
中居さんの深さを感じ、またまた涙しました。
そこに、物が存在すれば、かならず光の部分と
影の部分ができるわけで、中居さんは存在するすべての
ものを象徴されたのだ。っていう物凄い解釈とか、
誠実に生きることは心が痛いけど・・・っていう
ところでは、中居さんの痛いまでの取り繕わない
生き方っとかね。「いいひと」でいることをやめてしまった
感じを、武田さんはああいうふうに表現んしたのかな?って
思ったら、色々泣けました。
やっぱね、自分は浅くて、世界は深いんだな。
こういう気持ちで誰もが生きていけば、もう少し
軋轢とか、なくなると思うんだけど・・・って、
ネットしながら、色々勉強しています。
中居さん、ありがとう。
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