新潮社に物申す(苦笑)
2004年4月1日週刊新潮を立ち読みしちゃいました。(買ってたまるかー)
「すなうつ」評価コラムにありました。
しかし、よくもまーこんな無味乾燥なコラムを
載せられるものですね!。自分とこの文庫本、
誰のおかげで100万部近く売れてると思ってるんだーっ。
(ここを読んでくださる方に、原作本と、映画と、
新潮社のファンはいないと思うので^^;思いっきり
書かせていただきます。私だって、悪口とか
人を否定したことは書きたくないけど、あちらが
そう出るなら、こちらも出るぜよ。そもそも、千代吉が
あそこまで追い込まれたのは、我慢してたからなのだ。
きっと善人で我慢強い男だったにちがいない。
もう少し事が大きくなるまえに、きっちり反撃しておけば
よかったのです。ということで、人に優しくしたりするのは
いいと思いますが、我慢とかこらえるというのは
一見美徳のようでそうではないのです。人間、
言うことはきっちり言わないと。・・・ということで、
そのコラムがいうことを要約すると、
ドラマは、原作とか映画を超えることはできなかった。と。
そして、あのくらい重いテーマを描くなら、オリジナルに
するべきであったと。千代吉が事件を起こしたくらいの
時期は、西条秀樹が「YMCA]を歌ってたりインベーダー
ゲームがはやってたころだから、それを思い出すと
興ざめだ。なーんて書いてありました。まあ、演技人に
文句は特別言ってなかったので、いいんだけど^^;。
でもねー、なんでそういう表層的で、自分の人格とか
品格を平気で貶めるようなこと書いてるんでしょうね。
ネットで素人さんが辛口評も色々書いてるけど、ここまで
表層的で無味乾燥で、取り付く島のない評は書いてない
ですよ。これでお金取ってるんだから、怖いです。
天下の大発行部数を誇る週刊誌がこんなんだから、
日本の色んなもののレベルが上がんないんだっつーの。
さて、ここまで原作がいいとか、映画がいいという人が
いるんだから、その反対を言う人がいてもいいでしょう。
ただ、私は、本当に人の創造物に対して、頭から
批判とか、言いたくないです。それぞれに皆一生懸命で
あったと思うし、それぞれにいい所も悪いところも
あると思います。自分がそこまでのものを作ったりすることが
できない以上、頭ごなしに言えないし。
なので、これは、映画「砂の器」を作った人に対してではなく、
新潮社のコラムを書いた人への反論と思ってください。
まずね、映画なんですが、正直、DVD買ったんです。
で、観たんです。で、最初に出た言葉が、
「お金返してーーーっ」なんです^^;。
だって、原作読んでるから、事件を刑事がなぞる前半は
退屈しごくだし、出演者は丹波哲郎と森田健作の二人です。
そーんなに萌え萌えなシーンがないし、肝心の和賀さんは
寡黙で表情がないし、ごついし、芸術家とかピアニストとかの
繊細さがまるで感じられないし。手はもっこりしてて
ピアノを弾く手の表情に全然色気がないし。
でも、後半で大いに泣けるという噂を聞いてたので、
早送りしつつ後半の千代吉と秀夫の放浪シーンや
今西刑事の説明とか千代吉のいじらしい気持ちの
表現とか、そういうので、「なるほどー」と思いました。
それなりに、そういう場面でウルウルときました。でも、
そのウルウルはすべて、父千代吉への同情の涙であり、
和賀にはなんら感情移入できず、もとより、刑事たちは
主役でありながら、ただの狂言回しでしかないのです。
なので、この映画は、最後の最後に主役が千代吉に
なってしまっているという、とてつもないねじれ現象が
おきているので、最後、何かにだまされたような気持ちが
残るのです。しかも、和賀が罪を犯してしまった
切実さや罪と罰についての考察もテーマ性もどこかに
ふっとんでて、ただ、差別によって傷ついた千代吉と
息子を思う千代吉のいじらしい思いだけで、涙を誘う。という
とても欺瞞的な作品なのです。
なので、それをちゃんと罪と罰を表現し、差別の怖さと
人が安易に人を差別したり人を殺害できる生き物だという
「宿命」を描き、なおかつ、芸術による人の魂の
昇華など、ありとあらゆるものを、描ききれなかったと
しても、描こうとしたドラマ「すなうつ」とどちらが
作品として、高等なんですかって言いたいのです。
演技陣にしても、わたしは「Gメン75」と「寅さん」と
「俺は男だ」と「大岡越前」が出てくる映画なんて
全然入り込めませんでした。
ということで、こんなことを書きましたが、
映画「砂の器」を褒めようと思えば、私も、ちゃんと
褒めることもできます。ただ、悪口を言おうと思えば、
ここまで言えるんだよ。っていうことなんです。
で、新潮社のコラムニストさんは、私の上記の
感想くらい、悪意に満ちていたと思います。
こういう悪意のある感想をお金とって、書いていいんですか?
っていうことです。
ああ、愛のない世界ですね。本当に寂しいです。
あと、オリジナルで勝負しなかったのが良くないとの
ご意見ですが、この重いテーマをオリジナルで描いたと
したら、これだけの視聴率を取れたか?という
ことです。やはりあれだけの数字を取れたというのは
「砂の器」というネームバリューのおかげだと思います。
これだけ人に訴えうるテーマを掲げたからには
沢山の人に観てもらいたいと思うし、観てもらわないと
いけないと思います。それに、監督は、映像作家として、
あの放浪シーンをこそ撮ってみたかったのですから、
しかたないじゃないですか^^;。
創り手が撮ってみたいという映像を撮って、
それをテレビで流して、それなりの人が観てくれたん
だから、凄い事じゃないですか。
安易なリメイクはよくないという意見もわかるけど、
リメイクされるのはされるだけの作品があると思います。
それらは、エベレストとかの山々とか、北極点と
同じようなものだと思います。一度、エベレスト登頂や
北極点到達をした人間がいるからといって、後から登ったり
行ったりする人間を笑う人間はいますまい。
なので、「砂の器」をリメイクしたことじたいを
笑うものは、松本先生や映画「砂の器」を笑うのと
同じことなのだと思います。リメイクするに
値しない作品だといわんばかりのコラムでしたから。
ああ、すっきりした^^;。
私も結構本当は毒舌家なのです。
凄く毒はいて、済みませんでした。
「すなうつ」評価コラムにありました。
しかし、よくもまーこんな無味乾燥なコラムを
載せられるものですね!。自分とこの文庫本、
誰のおかげで100万部近く売れてると思ってるんだーっ。
(ここを読んでくださる方に、原作本と、映画と、
新潮社のファンはいないと思うので^^;思いっきり
書かせていただきます。私だって、悪口とか
人を否定したことは書きたくないけど、あちらが
そう出るなら、こちらも出るぜよ。そもそも、千代吉が
あそこまで追い込まれたのは、我慢してたからなのだ。
きっと善人で我慢強い男だったにちがいない。
もう少し事が大きくなるまえに、きっちり反撃しておけば
よかったのです。ということで、人に優しくしたりするのは
いいと思いますが、我慢とかこらえるというのは
一見美徳のようでそうではないのです。人間、
言うことはきっちり言わないと。・・・ということで、
そのコラムがいうことを要約すると、
ドラマは、原作とか映画を超えることはできなかった。と。
そして、あのくらい重いテーマを描くなら、オリジナルに
するべきであったと。千代吉が事件を起こしたくらいの
時期は、西条秀樹が「YMCA]を歌ってたりインベーダー
ゲームがはやってたころだから、それを思い出すと
興ざめだ。なーんて書いてありました。まあ、演技人に
文句は特別言ってなかったので、いいんだけど^^;。
でもねー、なんでそういう表層的で、自分の人格とか
品格を平気で貶めるようなこと書いてるんでしょうね。
ネットで素人さんが辛口評も色々書いてるけど、ここまで
表層的で無味乾燥で、取り付く島のない評は書いてない
ですよ。これでお金取ってるんだから、怖いです。
天下の大発行部数を誇る週刊誌がこんなんだから、
日本の色んなもののレベルが上がんないんだっつーの。
さて、ここまで原作がいいとか、映画がいいという人が
いるんだから、その反対を言う人がいてもいいでしょう。
ただ、私は、本当に人の創造物に対して、頭から
批判とか、言いたくないです。それぞれに皆一生懸命で
あったと思うし、それぞれにいい所も悪いところも
あると思います。自分がそこまでのものを作ったりすることが
できない以上、頭ごなしに言えないし。
なので、これは、映画「砂の器」を作った人に対してではなく、
新潮社のコラムを書いた人への反論と思ってください。
まずね、映画なんですが、正直、DVD買ったんです。
で、観たんです。で、最初に出た言葉が、
「お金返してーーーっ」なんです^^;。
だって、原作読んでるから、事件を刑事がなぞる前半は
退屈しごくだし、出演者は丹波哲郎と森田健作の二人です。
そーんなに萌え萌えなシーンがないし、肝心の和賀さんは
寡黙で表情がないし、ごついし、芸術家とかピアニストとかの
繊細さがまるで感じられないし。手はもっこりしてて
ピアノを弾く手の表情に全然色気がないし。
でも、後半で大いに泣けるという噂を聞いてたので、
早送りしつつ後半の千代吉と秀夫の放浪シーンや
今西刑事の説明とか千代吉のいじらしい気持ちの
表現とか、そういうので、「なるほどー」と思いました。
それなりに、そういう場面でウルウルときました。でも、
そのウルウルはすべて、父千代吉への同情の涙であり、
和賀にはなんら感情移入できず、もとより、刑事たちは
主役でありながら、ただの狂言回しでしかないのです。
なので、この映画は、最後の最後に主役が千代吉に
なってしまっているという、とてつもないねじれ現象が
おきているので、最後、何かにだまされたような気持ちが
残るのです。しかも、和賀が罪を犯してしまった
切実さや罪と罰についての考察もテーマ性もどこかに
ふっとんでて、ただ、差別によって傷ついた千代吉と
息子を思う千代吉のいじらしい思いだけで、涙を誘う。という
とても欺瞞的な作品なのです。
なので、それをちゃんと罪と罰を表現し、差別の怖さと
人が安易に人を差別したり人を殺害できる生き物だという
「宿命」を描き、なおかつ、芸術による人の魂の
昇華など、ありとあらゆるものを、描ききれなかったと
しても、描こうとしたドラマ「すなうつ」とどちらが
作品として、高等なんですかって言いたいのです。
演技陣にしても、わたしは「Gメン75」と「寅さん」と
「俺は男だ」と「大岡越前」が出てくる映画なんて
全然入り込めませんでした。
ということで、こんなことを書きましたが、
映画「砂の器」を褒めようと思えば、私も、ちゃんと
褒めることもできます。ただ、悪口を言おうと思えば、
ここまで言えるんだよ。っていうことなんです。
で、新潮社のコラムニストさんは、私の上記の
感想くらい、悪意に満ちていたと思います。
こういう悪意のある感想をお金とって、書いていいんですか?
っていうことです。
ああ、愛のない世界ですね。本当に寂しいです。
あと、オリジナルで勝負しなかったのが良くないとの
ご意見ですが、この重いテーマをオリジナルで描いたと
したら、これだけの視聴率を取れたか?という
ことです。やはりあれだけの数字を取れたというのは
「砂の器」というネームバリューのおかげだと思います。
これだけ人に訴えうるテーマを掲げたからには
沢山の人に観てもらいたいと思うし、観てもらわないと
いけないと思います。それに、監督は、映像作家として、
あの放浪シーンをこそ撮ってみたかったのですから、
しかたないじゃないですか^^;。
創り手が撮ってみたいという映像を撮って、
それをテレビで流して、それなりの人が観てくれたん
だから、凄い事じゃないですか。
安易なリメイクはよくないという意見もわかるけど、
リメイクされるのはされるだけの作品があると思います。
それらは、エベレストとかの山々とか、北極点と
同じようなものだと思います。一度、エベレスト登頂や
北極点到達をした人間がいるからといって、後から登ったり
行ったりする人間を笑う人間はいますまい。
なので、「砂の器」をリメイクしたことじたいを
笑うものは、松本先生や映画「砂の器」を笑うのと
同じことなのだと思います。リメイクするに
値しない作品だといわんばかりのコラムでしたから。
ああ、すっきりした^^;。
私も結構本当は毒舌家なのです。
凄く毒はいて、済みませんでした。
コメント