プシコ休刊なんですね。
今月号を買ったら、最後に書いてありました。
経営基盤を整えて、来年から再出発されるそうです。
「白い影」の熱烈ファンなら、知らない人はいないかも。という
雑誌だったから、残念です。来年創刊五年目だそうです。
心理学というね、あまり一般的でないものを扱う
雑誌だし、そういう専門家はもっと凄い専門書を読むだろうから、
一般の人向けの入門的雑誌だったとは思うのですが、
やはり、パンフレットのような軽めの装丁とかで
700円、800円というのは、この不景気の時代、
辛かったかもしれません。
あとはね、これは私の勝手な推理だけど、
途中から、「白い影」というドラマとかアイドルとかに
関するものを扱うようになってきて、既存のファンに少し
離れられてしまったのかな?と私は思いました。で、
「白い影」とかを扱わなくなれば、「白い影」ファンは
また買わなくなるし。
最後の挨拶の中に「紙面の質の面でご不満も
よせられています」って書いてたので、私は
勝手に、そう解釈してしまいました。やはり、どう学術的、
客観的に解説したとしても、世の中には、やはり
テレビカルチャーとか、アイドル(さぶかる)とかは
正道と外れたものを感じられるのかなーって思うのです。
(でも、今、世の中の人がテレビ文化というものから
無縁では生きられないのだから、テレビ文化こそ、
現代人間学というか、社会論を論ずるのに、取り上げてしかるべき
ものだとは思うのですがね・・・・)
やはり、はやりものに飛びつくのは危険ではありますね。
でも、最初は純粋に流行ってるからなんてことじゃなく、
著者の琴線に引っかかったことを取り上げただけ
なんだとは思うのですが・・・。その後がちょっと
グズグズな感じになってきてたかなーっていうのは
感じたのですよね。
やはり、お金を出して読む論文ではないような
部分もあったかなと思いました。
個人のHPとかで公開されていたら、「おおーーっ」って
感心する感じのものだったとは思いますが。

あ、上記の考えはあくまでも、私の勝手な考えです。
ご了承ください。

そして、その、今年最後の「プシコ」誌上で、
「日本のテレビドラマを考える。という特集の
「テレビドラマを巡る現代のネット環境における
(インターラクティブ・双方向性)の意味。
「白い影」と「砂の器」公式掲示板のケース。
という論説が、下河辺美知子さんと小宮山真美子さんという
方でやっておられるのですが・・・。
最初、「すなくら」掲示板で、問題になってたのは、
「白い影」と「砂の器」を比べすぎ。とかそういう
問題で、話題になってたんだけど、よく読むと、
作品の比較じゃなくて、ネットに対するTBSの
対応の問題を取り上げてるので、まあ、あながち
無理やりでもないとは思いました。
で、私、読解力がないので、また私独自の解釈であり、
正しいとは言い切れないんだけど、
要約すると、「白い影」のときは純粋に送り手が
BBSを運営していたけど、「砂の器」のときは、
「白い影」の時の視聴者の反応を予測して、
結局、視聴者の感情を煽るように運営してたのでは?
ということを言いたいのだと思いました。
そして、それはよくないことであろう・・・ってことを言いたい
のかな?と思いました。
説者は、「砂の器」の掲示板の言葉の熱さを(感動した。とか
泣いたとか)凄く感じたみたいで、
でも、その熱さに不気味さというか、コントロールされたものを
感じたみたいです。
確かに、あの「すなうつ」公式BBSは反対意見や
批判は結構掲載されてなかったですし、
確かに、クリーニングはあったと思います。
だからといって、私は、感動を誘導されたとも思わないのですが。
確かに、BBSができ、送り手にもたくさん視聴者の
意見が届くようになったのに、いまだに満足のいく
ドラマがあまり放送されてないことを見ると、
本当に視聴者の意見なんてものが、ドラマ界に
いい影響を及ぼしているのかは、疑問とは
いえますが。
私はTBSの感動の煽りを問題にするより、
それよりも、BBSの視聴者の意見に引きずられて、
あさみの存在が薄くなったり、送り手のやりたかったものを
追求できなかったり。とかそういうほうが問題なのでは?とか
思ったりしたのですが。
わたし、送り手の、やりたーーーい。ってものと
受けてのみたかったーーーっていうものが
偶然一致した場合のエネルギーが最高だと思うのです。
だからね、いつまでも送り手は自分のやりたいものを
追求して欲しいなって。
その点で、この論説の意見が少し私の思いと違っていました。

TBSは企業です。企業であるからには、自分のところの製品の
よい部分を全面に押し出すことはある程度、あるはずです。
しかも、TBSの送ってくる製品は、映像ソフトです。
映像ソフトは、受け手のとりようによって、評価は、
ばらばらなものだと思います。
よくない製品だとしても、欠陥商品と言い切れるものは
ありません。
ですから、TBSが放送終了後まで、気持ちよく視聴者に
ドラマを観てもらうために、ある程度クリーニングしたり
(批判の意見をあえて載せない)しても許されるのでは
と思うのです。もし、問題があるとしたら、TBSがさくらを
やとって、絶賛の書き込みをじゃんじゃん載せた。とか、
そういうことがあったなら、それはよくないことだとは思いますが。
ということで、むしろ問題にしないといけないのは、
公式BBSの掲載には、企業が提供しているのだから、
それなりのクリーニングなり、意図はあるんだ。と思う、
視聴者の成熟が必要なんではないかな?と思うのです。
だからこそ、思いっきり色んな意見がかける掲示板や
裏掲示板やら、個人のファンの掲示板やらがあるわけですし。
公式とはいえ、その掲示板に現れた意見が全てではないだろう。
という客観意識というか、個人の確立された価値観を
それぞれ、人が養っていくことが大事なんだと思うのです。
でないと、説者が問題にすることをこれからの問題にしていくと
したら、テレビ局各局は、投稿された意見をすべて掲載しないと
いけない。という法律をもうけないと解決しない。みたいに
なってくると思うのです。

なんだか、ぐちゃぐちゃになってきて、自分でもわけわかり
ませんが。
少し、説者の心の中が平らかである雰囲気の
論説であったなら、もう少し私も素直に読めたのかもしれないと
思う、残念な論説でした。
「砂の器」と「白い影」における投稿者の文字数の違い。という
論説でも、「砂の器」には最初から300文字という制限が
設けられていたという大前提をまったく無視した形で
比較しているのだから、的外れな答えが出てきてしまうのは
明白ですし。
ことほどさように、やはり説者の「白い影」への思い入れという
サングラス越しの研究だったことは、どうしても感じられてしまう
ので、論説としての完成度が低い感じがして、
少し残念でした。

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