ただいまでーす。午後五時半に家につきました。
はー、しかし、また地震ですか。本当に、被災地の皆さん、
お見舞い申し上げます。
昨日ね、横浜に向かう自動車の中で、「こんなに幸せ気分だけど、今、この瞬間、どこかで地震とかあって、不幸な目にあってる人とかいたりしてねー」なんて、ふと心をよぎったんですよ。
そしたら、ホテルについて、テレビつけたら、ニュースで凄い地震が九州であったって、聞いて、どどーんと落ち込んだんです。
自分は楽しい気分だけど、凄い今、大変な思いをしてる、
しかも、同じ日本人の人がいるんだって、知っちゃったから。
でも、やっぱ、横浜中華街にその夜ご飯食べに行っちゃったけど。で、いつも、地震に関してだけは、明日はわが身だと
思ってるので、対岸の火事には思えなくて、気持が複雑に
沈みます。なんせ、日本人の宿命だものね。

ということで、昨日の夜は横浜中華街で食事して、
ぶらぶらして、チープなお土産ものを買ったりして、
楽しみました。
ホテルに帰ってきて、持っていったパソコンやろうって
思ったら、階数が高すぎて、無線のネットが通じなくて、
「えーん」ってご機嫌斜めになって、しかたないので、
ほの暗いホテルの一階ロビーで、ノートパソコンする怪しい
客になりはてました^^;。

で、今日は、朝から横浜の港未来地区とか、元町とかぶらぶらして、夕方帰ってきました。
でね、横浜での一番お土産が、なんと、チャイコフスキーの
ピアノ協奏曲第一番ですよ。奥様^^。
あのね、車をね、インターコンチネンタルホテルの地下の
駐車場に駐車したまま、元町まで遊びに行ったのね。
で、石川町(元町近く)の駅から、JRに乗って、ホテル最寄の
桜木町まで来たんです。で、自動的にホテルまでの道を
たらたら歩いてて、そしたら、「みなとみらいホール」
(和賀さんが第一話で演奏したホール)に辿りついたんです。
で、「わーい、和賀さんーん」とか思いもって、ふらふらと
一階のロビーに近づいていったら、宣伝ポスターが貼ってあって、フィラデルフィア管弦楽団来日って大きく出てて、
「お、ちょっと有名っぽくない?」とか思って、近づいていったら、なんと、私が小学校高学年の時に始めて好きになった、クラシック音楽・
チャイコフスキーのピアノ協奏曲第一番が演目に乗ってるんですよ。
もうね、これを生で聞くのは、本当に初めてなんです。
私にとっては、幻の演目なんですよ。苦節30年ですよ。
ということで、もう、飛びついちゃいました。
他の演目も、チャイコフスキーの五番だし。(これも、大好き)
もう、最高です。しかし、凄い縁を感じてしまいました。
和賀さんが一番を演奏したホールで、本物を聴けるんだもの。
ということで、五月20日がめちゃ楽しみです。
先に楽しみがあるって、幸せですね。
あと、三木さんが歩いた歩道とか、写真とってきました。
今度HPに掲載するかもしれません。

で、帰りに、首都高とおって帰ってきたんだけど、
ドジなことに、ガソリンが途中でなくなってしまい、
お台場すぎたあたりで、高速をやむなく降りて、ガソリンスタンド探して一般道をふらふらしてて、
で、カーナビの導かれるままに運転してたら、
なんと、目の前にどどんと赤い東京タワーが表れて、
で、東京タワーを見ると、自動的に和賀マンを探す習性が
身についてるんだけど、本当に、現れたんです。和賀マンが・・・。そしたら、カーナビさんが、「赤羽橋インターに
入る」とか、言うんですよ。
そうです。あの、まさに、和賀マン最寄の駅の道を通ってたのです。もう、お導き以外の何者でもないですよ。
ということで、一人で盛り上がってしまいました^^;。

そんなこんなで、留守中の番組、観れていません。
ただ、さっき、「Mの悲劇」だけ、観ました^^;。
「むむむ、そうきたか」っていう最後でしたね。
さあ、どうする?衛ちゃんっていう^^;。
で、ナニワ金融道のおにいちゃんまで、繋がってたっていう
^^;。もう、脚本家さん、やりすぎーっていう感じですが。
書いてて、楽しかっただろうなっていう感じがしました。
しかし、明君と亘君、報われないー^^;。

なんか、吾郎ちゃんの所作がいちいち、滑稽に見えるのは、
わざと?それとも、彼の癖?^^;。
願わくば、あのドラマ上の演出なのだと、思いたい・・・。

でね、やっぱり、「砂の器」って、凄いドラマだったんだーって。この頃痛感しちゃうんですよ。
お気に入りのサイドストーリーを読んだり、他のドラマを
観たりして。
あそこまで凄いものって、そう生まれないのだなーとか。
凄いというか、重い。直球で重い。というか・・・・。
やはり稀有な作品だったのだと、思います。
それはね、原作が生まれてから、何十年もかけて、
色んなスタッフさんが色んなアプローチで何本か
作ってきたうえで、今度の「砂の器」に辿りついたわけだから、
歴史と作り手のあらゆる情念の上に出来上がった作品だし。
「砂の器」という作品は、松本清張さんという一作家が
作り出した作品なんだけど、何か、時代を超えて訴えるべき何かを内包した作品なのでしょうね。
で、やはり中居さんのファンだから、思いたいのです。
中居さんの和賀さんだったからこそ、あらゆる、すばらしい
サイドも生まれるのじゃないかなーって。
中居さんのよさに気がつく人って、凄く観察眼が鋭くて、
文学の才能とかある人が多くて。
そんなファンを沢山持ってる中居さんがやる和賀さんだからこそ、またすばらしくて、そしてそれを受け取ったファンから
生まれる感想も、サイドも、すばらしいんだって。
無論、すばらしいサイドをかかれる皆さんがすばらしいのだと言うことが、第一ですが・・・(ああ、何を言いたいやら^^;)
つまり、いいスパイラルだなということを感じました。
寡作なのが、(中居さんがあまりドラマをされない)
たまに瑕ですが。
でも「サムガ」で、「感動したとか、泣いたとか感想もらうと、
俺もドラマがんばろうとか思う」と、言われてましたし。
と言うことは、ファンの気持も届いてるとは思うんですよね。
そのへんに一縷の望みを賭けたいです。

最後にね、なぜ、「砂の器」で泣けるのかなーって、
考えて。
そして、出た答えは。
「罪」は、私は、やはり許せないんです。
色んな罪にはわりと鷹揚なんだけど、こと殺人については、
許すことができません。
でも、あのドラマの中のことは、全てが、「悲しい」。
秀夫を許せないから、だから、凄く悲しいです。
だから、泣けます。
彼をああいう罪に導いたあらゆるものに、(秀夫の
精神も含めて)悲しみと
憤りを感じ、そして、なぜか、泣けます。
きっと、この「悲しみ」から、人類が開放されることは
永遠にないのじゃないかなーって、
少し、悲観論者なので、そう感じます。
なのでね、「Mの悲劇」も、私が考えると、凄く
悲惨な最期になるんだけど・・・。でも、
「M]のことは、もう、これから、二度と思い出すことはないでしょう。そこが、一押し君と二押し君の違い・・・と
言ってしまえば、身も蓋もないけど。
でも、「M]は、作り手自身が、真正面から考えることを
最後のほうで、ちょっと放棄しちゃった感があり、
ちょっとお笑い風にして逃げた感があって、卑怯っぽくも
感じたけど・・・^^;。

ということでした。

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